もとは品治郡服部村大字服部本郷に鎭座していたが、何時の頃か社が荒廃し、吉備津神社の境内に移されたとする説が存在します。
また一説には多理比理神社は、品治郡宮内村に当初より鎭座し、後に分祠であった吉備津神社が備後一宮として移されたとする説もあります。

実際に多理比理神社は式内社として、延喜式神名帳に記載がありますが、備後吉備津神社は延喜式神名帳に記載がありません。

 

吉備津神社では大きな部類に入る摂末社だが主祭神と関係が薄いせいか、残念ながら同等規模の大山紙神社と共に御朱印の授与はされていない。

式内社だけに御朱印を頂きたいものです。

 

案内石碑より~

〔御祭神〕 多理比理神(息長帯姫神(姉)・息長日子王(弟))
多理比理神社の由緒  古事記に記載してある右の神々を祀ると見るのが至当。 延喜式神名帳に記載してある神社(式内社)二千八百六十一社の一つで、西暦七百年代には既にかなりの伝統を有していた備南随一の神社。